002


 真由美に先導されて歩くこと数分、姫奈はようやく講堂前にたどり着いた。想像どおり忙しかったらしく、小走りに去っていく真由美の背中を見送った彼女は、今度はさすがに迷うことなく講堂の扉の向こう、第一高校入学式会場へと潜り込んだ。
 第一高校。正式名称、国立魔法大学附属第一高等学校。国家と社会に魔法技能師を供給する教育機関であり、21世紀も末葉を迎えた日本において名門の呼び名をほしいままにするエリート輩出校でもある。なるほど言われてみれば、皆なんとなく頭が良さそうな顔をしている。足りない背筋を伸ばして空席を探りながら、姫奈は一歩ずつ会場中央を走る階段を降りていった。
 一学年の定員が二百名。入学しただけでエリート確定の学校のこと、定員割れはあり得ない。あと20分で式が始まろうという今、席は大半が埋まっており、そこかしこで小さなグループまで生まれ始めているようだった。後ろから迫ってくる女子たちも、どうやら行き合った仲らしい。
 躊躇はぼっちへの第一歩。僅かに空席の残る列に、えいや、と飛び込む。大柄な男子がひとり姿勢よく座っているのを奥に見た姫奈は、ずんずんと奥まで進み、腹を決めてどかりと座り込んだ。
 別に座るなと書かれてるわけじゃないし。何より、あそこで踵を返すのも癪だ。人見知りを発動しかけた内心を喝破する姫奈に、瞑目していた隣席の頭が動く。いかにも理性的な瞳がこちらを見据えるのを見て取った姫奈は、機先を制するように「初めまして」と微笑んだ。
「私は姶良姫奈。よろしくね」
「……司波達也です。こちらこそよろしく」
 大して驚く素振りもなく、彼──達也はそう応えると、再び視線を前に戻す。身長もそうだが、どことなく身体自体が分厚いように感じるのは、気の所為か。愛想のないやっちゃなー、と続けざまの言葉を繰り出そうとした刹那、「あの……」と第三者の声が、達也と反対側の耳に忍び込んできた。
「お隣、いいですか?」
 階段で姫奈の後ろにいた女の子だった。拒む理由はないし、知り合いは多いに越したことはない。「どーぞ」と微笑むと、眼鏡っ子は安心したように微笑んで、隣の席に収まった。
「私、柴田美月っていいます。よろしくお願いします」
「姶良姫奈、姫奈でいいよ。よろしくね」
 目鼻立ちも穏やかな、いかにも優しい女の子だ。今どき珍しいメガネも、どこか美月の雰囲気にぴったり合っている。高校デビューに合わせて、しっかり選んだんだろうか。それにしては掛け慣れているように見えるが……。
 やっと本調子だな、と思う。迷子になってテンパったから、真由美先輩相手にあんなに泡を食う羽目になったのだ。やればできる子、と溜飲を下げた姫奈は、その拍子に隣がやけに静かなことに気づいた。姫奈は達也に目をやり、再び瞑目していた彼に肘鉄を食らわせる。
「ほれ、達也くんも挨拶」
「……司波です。よろしく」
 やればできる子じゃあないか。「よろしくお願いします、司波くん」と柔らかい笑みを返す美月の向こうから、ひょっこりと明るい髪色が顔を覗かせる。
「あたしは千葉エリカ。よろしくね、司波くん、姫奈」
「こちらこそ」
「エリカね、よろしくー」
 美月とは対照的な、とにかく活発な印象の女の子。くっきりした顔の造形に、さばけた表情がよく映える。横聞きしただけの姫奈と達也の名前もしっかり逃さないあたり、周りにも気を配っているらしい。
 それにしても、誰も彼も高校一年生にしては育ちすぎでないの。美月、エリカ、達也と目をくれていき、最後に自分の身体を見下ろす。ボディラインはそれなりにできてきたが、美月には劣る。低い身長が災いして、手足の長さもエリカのようには活かしにくい。達也の肩幅に至っては──いや、男子と比べるのはナンセンスか。
 身長があと10センチ、せめて5センチあれば。真由美先輩くらいの身長でもあれば、似合う服の選択肢も増えるのに。いや大丈夫だ、お母さんは身長が高い方だから、私にだってまだチャンスがある。これからどーんと伸びる予定だ。
 自分を挟んでやり取りが弾む中、姫奈はまだ見ぬ高身長の自分を諦めきれずにいた。

 一科生ブルーム二科生ウィード。試験順位上位100人を一科生、残りを二科生とし、一科生にのみ魔法実技の個別指導を受ける権利を与える制度である。魔法の実技指導を担える人材の不足に端を発したやむを得ない選択と集中は、しかし適用される側には明確な格差として見て取れた。
『新入生は、皆等しく──』
 然るに、現実は厳しい。一科生の制服にはエンブレムがつき、二科生の制服には何もつかない。些細な管理の事情から発する細かな違いが積み重なり、いつの間にか格差構造として形をなすに至った。もうすぐ22世紀を迎えようという社会は、未だに19世紀を生きている。
『それぞれが一高生の自覚をもち、一丸となって──』
 入学式会場の席取りひとつにしても、前列は一科生、後列が二科生でそれぞれ占められていた。美月もエリカも姫奈も、無論達也にも二科生であり、胸や袖に校章はない。
 そして、新入生総代たる深雪には、その両方があった。
『魔法を修める者であると同時に、ひとりの学生であることを胸に刻み、魔法以外にも──』
 その深雪が、達也の妹が、答辞の壇上で、格差を嗜めるような言葉を使う。
『ひとりひとりが人間として学ぶべきことを、総合的に──』
 うまく建前にくるんでも、清楚で初々しい可憐な美貌から繰り出された言葉であっても、聞く者にその気がなければ、言葉どおりには受け取られない。
 すなわち。
「ねえねえ、あのなんか頑張って喋ってた深雪ちゃんって美少女、達也くんの双子?」
 馬耳東風、馬の耳に念仏、犬に論語。その手の熟語が達也の脳裏を駆け回る中、馬やら犬やら扱いの彼女──姫奈が、彼の顔を下から覗き込んでいた。
「あの子も司波で、達也くんもシバでしょ? つかさ、なみ、の司波」
「……よく訊かれるが、双子じゃない。俺は4月生まれ、深雪は3月生まれだから」
 え、と口を手で覆う姫奈。こう言えば大抵の場合は気まずく思ってくれることを、達也は学習していた。優秀な妹とダメ兄貴の構図を、ダメ兄貴のほうから言わせてしまったという勝手な遠慮。相手が引き下がるのにも、それを笑って受け流すのにも、彼はとっくに慣れきっていた。
「4月って──達也くん誕生日何日!?」
 だからこそ、こういう反応をされるのは想定外だった。鬼気迫る表情に半歩後ずさった達也をよそに、大きな目をまんまるにした姫奈が、遅れてやってきた美月とエリカを大袈裟に手招きする。
「どうしました、姫奈ちゃん」
「なに、司波くんにチビとか言われたの」
「いいのこれからぐーんと伸びるから! そんなことより達也くん誕生日4月なんだって!」
 そんな大声で言うことじゃないだろう。眉をひそめた達也の抗議は、三者三様の反応で儚くも無視されることになる。
「あらあら司波くん、それじゃ盛大にお祝いしないとねえ」
「ケーキ、ケーキ、あとプレゼント交換……いや誕生日だってのに交換は変か? まあいいよね楽しけりゃ!」
「エリカちゃん、姫奈ちゃん……でもそうですよね、せっかくお友達になったんですし」
 柴田さんが止めないんじゃもう止まらんよこの流れは。眉から力が抜け、思わず肩が落ちる。そこから立ち直るまでに、姫奈の小さな手が、達也の袖口を引いていた。
「ね、ね、達也くん何日? いやご家族とお祝いするっていうなら当日は外すけど、せめてちっちゃくでもパーティー……」
「……24日だ」
 姫奈の上目遣いに、達也が思わずのけぞる。こぼれ落ちた答えに気づいたのは、姫奈がしてやったりと笑みを浮かべてからだった。
「よし、さっそくパーティーできるお店を探さないとね。エリカ隊員」
「そうだねえ姫奈隊員。あたしこの辺のカフェならそれなりに調べてあるんだけど、どこがいいかしら美月隊長」
「ええっ私が隊長なんですか!? ……うーん、この辺ならケーキもお茶も種類がいっぱいありそうですね……」
 舌を打つべきか、舌を噛むべきか。本人抜きで悪ノリ話が進む中、達也は紙やすりで神経を削られる気分だった。