003
やれ甘い物は好きか、それコーヒーか紅茶か。達也の鉄面皮に狼狽と辟易が見え隠れするのが面白く、姦しく彼を囲うこと数分。「お兄様」という呼び声が振りかかるに至って、姫奈たちは達也への悪ノリを切り上げることにした。
「お待たせいたしました。……そちらの方たちは?」
楚々と取り澄ました、水も漏らさぬ笑顔。つつけば壊れそうな繊細な顔立ちを、癖のない黒髪が縁取って胸元と背中へ流れている。これが濡れ羽色ってやつか、とまじまじと見つめる姫奈の視線に、彼女は僅かに鬱陶しそうな眼光を見せてきた。
なるほど、答辞に皮肉を込めるだけのことはある。「お友だちだよ」と胸を張る姫奈の背後で、達也が僅かにため息をつくのがわかった。
「……お知り合いですか?」
「……姶良姫奈さん、柴田美月さん、千葉エリカさん。今日知り合った、同じクラスの子だ」
達也が手でひとりずつ指すたびに、彼女の瞳がいよいよ剣呑な色を帯び始める。達也の答えを言い逃れと受け取ったものか、私が胸を張ったままだからか。口の端をさらに吊り上げてやる。彼女は「まあ、お兄様ったら」と目を細めて、いっそ睥睨するような笑顔を振りまき始めた。
「知り合ったばかりでお茶に行かれるなんて。……早速、クラスメイトとデートですか?」
じ、とこちらを眇めた視線がぴりぴりする。ちょっと自慢げにしただけでこれだ、やっぱりこの兄妹は弄りがいがある。
とはいえ、お兄様ときたか。こういう清楚で綺麗な、お人形さんみたいな子が言うからサマになるが、そうでなければ……。姫奈が身震いするより先に、達也が「そんなわけないだろ」と機先を制する。
「お前を待っている間に話をしていただけだ、深雪。……そういう言い方は、三人に対して失礼だよ?」
これ以上余計なことをされないうちにケリを、という腹積もりらしい。深雪がすぐに笑顔を取り繕うあたり、才色兼備とダメ兄貴という達也の唱える構図とは、だいぶ乖離がありそうだ。
「初めまして、司波深雪です。お兄様同様、よろしくお願いしますね」
流れるような所作で下げられた深雪の頭越しに、制服を着込んだ連中や来賓たちの姿が目に入る。彼女に視線が向いたままなあたり、それなりに相手をさせられたのだろう。
それで兄が女の子とイチャイチャしていれば、刺々しくなりもするか。美月とエリカが名乗りを済ませたのを見計らって、「姶良姫奈です」と無難にひと言目を切り出す。
「ごめんね、お兄さんで遊んじゃってて」
「本当だよ……」
「何を、美少女三人に囲まれてタジタジだったくせに」
「オニイサマ?」
「勘弁してくれ……」
腰に手をあてていよいよ盛大なため息をつく達也に、姫奈とエリカがころころと笑う。深雪も打ち解けた微笑みを見せるあたり、意外と話のノリがわかる子らしい。機を逃さずに「深雪さんと双子なの、って話になって」と切り込むと、彼女は顔ごとこちらへ聞く向きを示してくれた。
「俺は4月だから違うよー、って。で、誕生日近いならお祝いしなきゃねって話してたの」
弁解を受け入れてくれたのは、うんうんとしきりに頷く美月あってのことにちがいない。「そうだったの……」と申し訳なさそうに目を伏せた深雪は、すぐさま達也に視線を向ける。
「それならそうとおっしゃっていただければ、早とちりせずに済んだのですよ?」
「それは、姶良さんが──」
「姫奈、ね」
「……姫奈が先に、深雪を煽ったのがだな」
「事実を陳列しただけだよ?」
「言い訳は見苦しいぞ、司波くん」
姦しい三人に、いち早く微笑みながら見守るポジションを確立した美月。苦悶の表情を浮かべる達也を救ったのは、んん、というわざとらしい男性の咳払いだった。
「……司波さん、ご歓談中すまないが」
生徒会の腕章と八枚花弁のエンブレム。ぶっきらぼうな物言いに恥じない、いかにも真面目一徹といった出で立ちに、エリカが胡乱な視線を向ける。彼女にとっては、彼が典型的な一科生に見えるのかもしれない。プライドが高く、それを裏打ちする実力も備えている。深雪に目を向けている今も、油断なく周囲を、とりわけこちらの出方を窺っているのが、よくわかる。
私の知る一科生は、もっと余裕があるように見えたけどな。姫奈がそう思った刹那、「いいのよ、はんぞーくん」という声が耳朶を打ち、その場の視線が自然と彼の背後へ向いた。
「今日はご挨拶まで。深雪さん……と、私も呼んでいいかしら」
恐縮した深雪の首肯に微笑んで、彼女──七草真由美が再び口を開く。
「入学式ではご苦労さまでした。また、日を改めてお話をさせてちょうだいね」
お友だちもできたみたいだし、とこちらに流れた視線が、姫奈のそれと絡まり合う。儀礼的な微笑みに人肌が宿り、「あら姫奈ちゃん」とこちらへ踏み込んでくる彼女を、姫奈は一方進んで迎え出た。
「ほっぺたは無事だったみたいね、よかったわ」
「真由美先輩、あまり朝のことは……」
こちとら余裕たっぷりに周囲を振り回す小悪魔で通そうとしているのだ。入学式に早く来て迷子になりました、なんてことがバレた日には、達也からどんな反撃を受けるものか。コミュニケーションなんか弄ってナンボ、弄られる覚悟をする暇があったらひと言でも多く弄ることを考えろ。無停止攻勢こそ我が真髄なり。
とはいえ、悲しいかな殴りやすいボディをしているのは姫奈のほうだった。ほっぺただって? 気つけにピシャリとやったアレか、と思い至るまでに、「帰りも気をつけるのよ」といたずらっぽい真由美の笑みが重なる。仮にも生徒会長の口を覆うわけにもいかず、姫奈は首をすくめて応えた。
「まっすぐ行けば正門だから。明日はあそこを、今日とは逆に曲がれば──」
「わかりました! わかりましたので、マップ落としてちゃんと見ながら登校しますので……」
もう黙ってくれ。ニヤニヤするエリカ、微笑ましげな美月と深雪。僅かな呆れの色を、たぶんわざと滲ませる達也。ただでさえ小さい身長をさらに縮めて、姫奈はひたすらにペコペコして真由美を見送った。
昼食の席で、姫奈は弄られる覚悟の大切さを存分に思い知った。