004
一年分の恥を一時間かそこらでかき、弄り弄られの役回りが一巡したあたりで、昼食の席はお開きとなった。日の高さも未だ本調子ではなく、17時にはそれなりに暗くなる。最寄り駅まで送っていくという達也の申し出に感謝しながら、女性4人は思いがけないロスタイムまで存分に尽きない話を楽しんだ。
二人乗りのキャビネットにエリカと美月が収まり、ついで達也と深雪が乗り込む。方向別で組分けをすると、立川方面へ帰る姫奈はどうしても余ってしまうのだ。両手を振って全員を送り出したあと、姫奈はひとり寂しく別方向へ向かうキャビネットに席を求めた。
通学定期券を押し当て、開いた空間の奥に腰を下ろす。あとは扉が閉まればドア・トゥ・ドアだ。高度な自動運行システムが、自宅最寄りまで運んでくれる。便利になったんだぞ、という父と母の声を思い出しながら、姫奈は懐から携帯端末を引っ張りだした。
幾つか溜まっていた通知を自宅のワークステーションに転送しつつ、チャットアプリから家族のグループを開く。『無事入学!』と文言をしたためて、写真とともに送信。添付した写真の中に四人四様の個性を見て取って、キャビネットの中に笑い声が跳ねた。
写真の中央、エリカと姫奈に両側から肩を抱かれた美月は、目を丸くしながらも、おっとりと柔らかな笑みを浮かべている。彼女を挟む二人はといえば、これ以上ないほど景気のいいピースサインをカメラに突きつけていた。
姫奈のもう片方の腕は深雪の腰に回り、これもまたぐいと引き寄せている。さすがというべきか、深雪はカメラに向けて完璧な微笑みを保っていたが、その白く細い指先ばかりは例外だったらしい。抱き寄せた姫奈の手の甲を、写真には写らないようにつまみ上げてきたのだ。虫も殺せないような顔をしておいて、深雪もやはり達也の妹ということか。
その達也はといえば、この画像には映っていない。撮影者を買って出てくれたからだ。写真が苦手なんだ、という口上は言い訳で、きっと遠慮したのだろう。達也の写った写真を見せられて、深雪はともかく、他の三人の親が何を思うものか。いかにも気にしそうだ、と思えるほどには、それぞれの気心がわかるようになっていた。
いや待てよ、と、その気心が告げる。達也のアレは、からかい倒された意趣返しかもしれない。そう思いついたのは、深雪の口元に目がいったからだった。お兄様、と若干食い下がるような表情から、一転瀟洒な笑顔へ切り替えた残滓。せっかくの思い出なのに、というリーサルウェポンを切り出さなかった深雪も、そのあたりの引け目があったのか。穿ち過ぎだな、と心には留めつつ、それはそれでおいしいという気分が上回っていた。
いずれにせよ、画像を見ただけでは窺い知れない、四人と一人しか知り得ない舞台裏ではある。未だに若干ヒリヒリする手の甲を撫で、母から飛んできた独特な絵文字に呆れながら、姫奈は満たされていた。入学式の日に、友だちができて、お茶をした。絵に描いたようなサクセスストーリーだ……。端末を懐にしまい、街路に沿って曲がるキャビネットの慣性に身を委ねた刹那、聞きたくなかったビープ音が姫奈の耳朶を打った。
「ちょっともう何、こんなときに……」
天中殺という死語が頭をよぎる。家に送ったはずだろ、と背もたれにずるずるともたれながら、端末を再び手にとって通知を確認する。この手の通知は軒並み表示だけされるようにしていて、音が鳴るのはシビアなものばかり。端末に標準で入っている全国瞬時警報システム、家族のメッセージに緊急タグがついているとき。そして、残りひとつは……。
TO:security@mimir.org
FROM:security@rosen-magicraft.co.de
SUBJECT:[SECURITY] Potential vulnerability: heap overflow in castcachemgr
脆弱性の初期通報を告げるエンバーゴメール。キャストキャッシュマネージャにおけるヒープオーバーフロー。宛先はOSSプロジェクト〈ミーミル〉のセキュリティチーム、送り主はローゼンマギクラフト製品セキュリティ対応チーム。真っ白になった頭にまずはそのクエリを叩き込みながら、姫奈は反射的に開発用の連絡ツールを手繰り始めた。
すぐさま相手先に自動返信メールが飛び、件名の文言──とりわけサービス名をキーとした自動ディスパッチが走る。乱れ飛ぶチケット発行通知やエンバーゴ開始アラートをかき分けること数十秒、ようやくエンバーゴ対応の非公開チャットを見つけ出した姫奈の指は、迷わずそれに触れていた。
『で、誰か再現できた?』
『PoCないんだろ、急かすなよ』
殺気立った連中がメッセージを書き込んでいくのを上から読んでいきつつ、呻くように鼻を鳴らす。今は日本標準時で17時、ドイツは始業してすぐだが、アメリカは真夜中だ。通知が来て1分でこの集まり具合、いったいいつ寝てるんだろう。
『とりあえずローゼンのver23.05最新では再現なし。トレースこれね』
『アーテラリーで出ないってことは、機種依存か? 誰かリブラの最新モデル持ってない?』
「私持ってる! 家ついたらすぐ焼くよ!」
そうとだけ書き込み、ちょうど最寄りについたキャビネットから飛び降りる。自室の収まるマンションは目の前だ。ぱたぱたと間抜けな足音をあげながら、姫奈はエントランスへ駆け込んだ。
今日の思い出に浸る少女の姿は、もうそこにはなかった。